コロナ前、複数名いるママ友とローテーションしながらランチに行っていた。
それがコロナでパタっと行けなくなってしまい時が止まってしまった。
久しぶりにお昼休憩に抜け出し、同じ仕事場のママ友とランチへ出かけることに。
このママ友とは職場が同じで、行こうね〜って話はするけど実現できてなかった。
その代わりにいっつも立ち話で解消していた。
そしてついに初ランチへ!
仕事のこと
やはり同じ職場だと仕事関係の話題が多くなる。
いつまで続ける?
部署の人間関係。
仕事の繁忙期など。
お互いに違う部署のため、情報交換が飛び交う。
時折共通の人の話で盛り上がったり。
このママ友といるとなぜか安心する。
旦那さんのこと
ランチを終えた後、まだ時間があったので店をあとにした。
近くにベンチがあったのでそこに腰かけて会話は続く。
少し蒸し暑い日だった。
雲のスキマから日差しがでてまぶしかった。
だけどそれを忘れるぐらいおしゃべりに夢中になってく。
気がつけば手に持ったアイスのソイラテが氷だけになっていた。
私の子供も年子。ママ友の子供さんも年子。
子供達は保育園から中学校まで同じ学校。
ほぼ同じ時を刻んできた。
ただ違うことがある。
旦那さんが、いない。
2年半前に病気で亡くなられたのだ。
亡くなられた時期、気丈にふるまってたのが今でも忘れられない。
生前のことをポツリポツリと話しだすママ友。
最期に近い時期、入退院を繰り返すことが多くなった旦那さん。
退院のたびに少しずつ自分の通帳や大事なものを一つにまとめてたという。
自分がいなくなっても、残された家族が困らないように。
少し畳につまづいただけで出血が止まらなかったという。
表面の傷でこの状態なのに、体の中でどれだけむしばんでいるかを考えると…
その姿をみてママ友やお兄ちゃんはもうダメかもって何度も覚悟を決めていったらしい。
「実はお昼休憩に、職場近くのパスタ屋さんで旦那さんと合流して何度かデートをしてたんだよ。」
楽しい思い出もあったと、彼女はうれしそうに語ってくれた。
「遺品整理を実母としていた時ね、そんなことめったといわない母が(亡くなった旦那さんが)そこにいるねって言うんだ。」とママ友。
「わかるの?」
「空気でわかる。」
その話を聞いた時、ふと亡くなって何十年も前になる祖父のことを思いだした。病院から帰った日、次の日お葬式の時、可愛がってた亡き愛犬がよく吠えてたことを。
心に刺さる言葉
「(僕がいなくても)もう大丈夫だろ。」
日に日に弱ってやせ細っていく体。
見るからに痛々しい姿。
そんな中で発した言葉がどうしても忘れられない、ママ友が言う。
ママ友が忘れられない言葉、私も一番印象的な言葉になった。
切なくって泣きそうになった。
だけどママ友のことを思い、グッとこらえた。
お兄ちゃんのこと
私とママ友の子供達は成人し社会人になった。
下の子は地元にいるので、時折ママ友を職場に送ってくる時に会うこともある。
お兄ちゃんは中学の卒業式に見たのが最後。
大学から県外に行き一人暮らしをしている。
現在サラリーマン。
聞くところによると、コロナ明けでライブが盛んになってきたので楽しんでいる様子。
お父さんのことがあったので気になっていた。
元気なんだと聞いて安心した。
おわりに
今回のママ友ランチ。
コロナ明け初なのでものすごくありがたいなって思った。
このママ友との会話を通じて、生きてるだけですごいことって改めて思えた。
貴重な1時間だった。
また行こうねと約束。
子供が巣立ち、ママ友との距離も減った。そんな中でご縁がある人は大切にしていきたい。
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